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【海外旅行記番外編】前十字靭帯再建手術記録/入院から退院まで

去年、左膝前十字靭帯再建手術の入院中に書いていた記事です。愚痴多めな日記みたいなものなので公開するかどうか迷ったけど、モンゴルにて2回目の断裂(右膝)をしてしまい、11月の3度目のベトナムと年末年始のベルギーは断裂したままでの旅行になってしまいました。

海外旅行を趣味にしている方は私と同世代(30代)または私より年上な方が多いと思う。年を取れば当然足腰にも支障が出るので同じような怪我をするリスクも高いだろう。そして限界系旅人たちのような、ある意味プロのアスリートである方々にとっても。

そんな人たちにとって注意喚起の意味も含めて公開します。Twitterでのリツイートや共有もばんばんやってもらえると嬉しいです。

 

 

 

 

2022年7月。エジプトから帰国便に搭乗したときにカタール航空機内のレールカバーを踏んづけて転倒し、左膝前十字靭帯を断裂した。入院・手術から退院まで記録したいと思う。

実は膝前十字靭帯は断裂しても日常生活に支障はない。私の場合、膝が腫れ少々足を引きずるくらいでいつも通り歩くことができた。

しかし海外旅行保険に加入していたこともあり念のため地元のクリニックを受診したところ、靭帯は通常のレントゲンでは写らないので総合病院への紹介状を書かれ、MRIを撮るよう言われた。

 

結果、ばっちり断裂していたのだが、最初に受診したクリニックの整形外科医は

スポーツ選手でなければ手術しなくても日常生活に支障はない、手術するかしないかは本人の自由、しかし老後に支障が出る可能性もある。とのことだった。

 

しかし総合病院の整形外科医は

そのままでも日常生活に問題はないが、高齢者になったときに同世代よりも早く膝が壊れる可能性がある。また半月板損傷のリスクも高まるので当院では基本的に手術をオススメしている。とのことだった。

 

海外旅行先では公共交通機関はほとんど使わずにひたすら街歩きをするのが好きな私にとって、下半身は重要、そして近々ダイビングのライセンスを取ろうと夫と話していたところだったので手術をすることに決めた。

 

静岡県内のプロアスリートも多く受け入れている病院です。入院生活の愚痴も多いのでここでの病院名の公表は控えますが、膝靭帯再建手術は県内で一番多く実施しているので安心感はありました。知りたい方はSNSからDMを送ってください。

 

怪我から約4か月後の11月中旬。いよいよ11泊12日の入院生活が始まる。

 

 

※傷口や血液の画像あり。苦手な方はご注意を!

※病院に対する愚痴や不満も多数。苦手な方はご注意を!

 

 

■入院初日

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病室は窓側。診察時に個室を希望する旨を伝えていたのだが、コロナの影響で随分前から部屋の指定はできなくなっており、残念ながら二人部屋となった。どうやらコロナに感染した場合の死亡リスクが高まるお年寄り等が優先的に一人部屋になってしまうようだった。

一人部屋を無理矢理二人部屋に改造したようなとても窮屈な病室。私のTVだけ故障しているため写らないと入院直後に言われた。それでも窓側のため追加料金が発生するという。差額同意書を持ってこられたときは一瞬ぽかんとしてしまった。

私はTVは見ないので平気だが、他に娯楽のない入院生活なのでせめて入院前に一言連絡するとか、そんな気遣いもできないのだろうか。個室も選べないし、医師と看護師の連携もできていない。病院に対し、これからどんどん成長していく不満の種ができてしまった。


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これだけ見たら、「今度はどこの国に行くの?」と思うだろう。行先が病院なんて悲しい。

 

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夕食はこれだけ。入院は午後からだったので午前中は自宅で暴飲暴食しておいて良かった。翌日は手術なので絶食。

最後の食事を噛みしめていたら隣の部屋が騒がしくなり、患者のおじさん2人がコロナに感染したようだった。そのため私の手術も延期になる可能性がある、と看護師が告げに来た。最悪。

ここで初めて同室の子と話をした。まだ10代だが海外で活躍しているプロのスポーツ選手。靱帯断裂は3回目という靱帯断裂のプロでもあったので、術前の心構えや術後の過ごし方をたくさん教えてもらった。

 

 

■手術当日と術後の夜。

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予定通り手術してほしいような、してほしくないようなもやもやした気持ちで朝を迎えたが、結局予定通り実施されることになった。これは手術前の点滴。

手術は1時間遅れで開始となった。

点滴をしたまま歩いて手術室へ向かうが同行の看護師がうっかりミスを連発する人でオペの看護師たちも呆れていた。不安…。

まずは背中への硬膜外麻酔と全身麻酔で手術に臨む。全身麻酔はしない病院もあるみたい。

無事手術は終了したが意識が戻った時から貧血による眩暈と吐き気がひどかった。ベッドのまま病室へ戻るのも車酔いのような感覚で辛い。すぐに吐き気止めを点滴してもらったが眩暈はまだ続いたままで、そのあとは寒気が襲ってきた。電気毛布を掛けてもらっていたがそれでも寒く体がガタガタ震えていた。この気持ち悪さはもう体験したくない。

3時間後に夕食が出たがとても食べれる状態じゃなかったため、ゼリー飲料とジョアを飲んだが看護師は開封してくれず配膳してすぐ去っていった。自力で開ける体力もなく苦労した。

膝の痛みはそこまでひどくなかったが、眩暈は翌日まで続き、1時間ごとに看護師が血圧と検温に来るのであまり眠れなかった。

 

 

※傷口や血液の画像あり。苦手な方はご注意を!

 

■術後2日目

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術後2日目(手術当日が術後1日目となる)。

やっと膝を見ることができた。それまでは布団を捲る力もなかった。血を抜くためのドレーンが2本入っていてとてもグロテスク。尿管カテーテルも入っているのでほぼ動くことができず1日ベッドの上にいるしかない。

ここで職場から仕事の連絡が来てしまった。緊急連絡先として携帯の番号は教えているが、話を聞いてみると緊急ではない。手術のための入院と伝えているのに。

着替えと全身のタオル拭きは看護師がやってくれた。

 

左から朝食、昼食、夕食。どれも1/3~1/2くらいしか食べられなかった。まだ眩暈が続いているのと、また吐き気がきたら嫌だ、という気持ちがあり食が進まない。

 

 

■術後3日目

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徐々に調子が良くなってきたが膝の痛みはまだあるし、全身がだるい。ここでようやく血抜きの管と尿管カテーテル、硬膜外麻酔の点滴を外すことができた。どれもちょっと痛かった。

自力でトイレに行けるようになったが、足の装具は外せないので時間がかかってしまう。

また、部屋が本当に狭いので移動が怖い。通路は50㎝くらいしかない。この部屋で車椅子の人は辛そう。

 

午前にCTを撮り、その後初めてのリハビリが始まった。今日から退院するまで毎日午前と午後に1時間ほどのリハビリとなる。最初は午前に電気パッドを付けてのタオル潰し。午後は膝を80度まで曲げる訓練。曲がるところまででいいと言われたが最初から80度まで曲げることができた。かなり順調!

 

左から朝食、昼食、夕食。やっと食欲が出てきて毎食完食することができた。しかし入院日から今まで排便がないのでお腹が張って苦しい。

 


■術後4日目

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朝、包帯を外してもらい、さっそくリハビリ。
しかしここでまた問題発生。他の部屋でもコロナの感染者が出て、私がいるフロアは7割の患者が感染してしまった。そのため同室の子は明日退院予定だったが繰り上げて急遽本日退院となり、晴れて念願の一人部屋となった。

リハビリも午前のみで終了。今後の方針など看護師からは何も説明がない。こちらが質問をすれば答えてくれるが…。今回が初めてのケースでもないだろうし、入院前にクラスター発生時の説明があれば良かったのだが…。この日から毎日実施されていたトイレ・洗面・床の掃除もなくなってしまった(ゴミの回収のみ)。

本来なら今日からシャワーにも入れるはずだったが、部屋からは必要最低限出ないようにとのお達しも。「一ヶ月くらい入ってない人もいるから大丈夫だよ!」と看護師は明るく言っていたが大丈夫かどうかは人それぞれだろう。私は一日でも無理。

せっかく一人部屋になったのに、不安な気分のまま夜を過ごした。

 

食事は全て完食。普段今日も排便なし。トイレに籠りたいがトイレが狭くて足が痛くなる。それを看護師に告げたらドアを開けたまま用を足すように言われた。トイレは自宅のほうが広い。ここ病院?刑務所じゃない?

 

 

■術後5日目

痛みはほぼなし。見た目は先日と変わらないので写真は割愛。

今日もリハビリなし。できないのなら入院している意味がないのでは?もう退院できないか看護師に聞いたところすぐに主治医が来てくれた。午後からリハを再開するのでもう少しいてほしい、しかしこのまま入院しているとコロナ感染の危険もあるので予定より早めたいと言ってくれた。

このまま退院まで一人なら気楽で良かったのだが、また二人部屋に戻ってしまった。本人の意に反して一人部屋になってしまったおばあさんが寂しがっているので同室に移動してもいいか聞かれた。そう聞かれたら了承するしかない。でも私は一人部屋希望で伝えていたのに何故他の人の希望は通るの?

同室になったおばあさんは、この病院で今まで4回手術をしているそうだ。いつも麻酔から覚めると子供・孫たちの顔が見えてホッとするが今回は暗闇の中一人で目が覚めてとても悲しかった。部屋から出ることもできないし、話し相手もいない。寂しくて挫けそうになっていたのであなたと同室になれて良かった、と感謝されてしまった。いきなり演歌を歌い出したりおしゃべり好きの騒がしい方だったが最終日には連絡先を交換するほどの良い出会いとなった。

午後のリハビリも順調。80度までの膝曲げとタオル潰し、体重の1/2まで負荷をかけることが許され、階段の昇り降りも楽々できるようになった。

 


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食事は全て完食。普段なら倍量くらい食べているが、意外にお腹も空かない。同室の子が退院時にお菓子を差し入れてくれたが今のところ食べなくても平気そうだ。

今日ようやくスムーズに排便することができた。

 

 

■術後6日目

私があまりにも帰りたい帰りたいと騒いでいたせいか、今朝主治医から翌々日の退院許可をもらった。しかし今週いっぱいシャワーは閉鎖するため汚いまま退院することになりそう。

コロナの新規感染も落ち着いたようでようやく通常通り(午前と午後1回ずつ)のスケジュールでリハビリできるようになった。

しかしまだ部屋の清掃はない。頭を洗えないので抜け毛がひどく、床は私の髪の毛だらけ。洗面所は狭すぎて水が床に飛び散って更に汚い。シーツの交換もなし。自分たちでやれることはやりたいが、一人は車椅子、一人は両手に松葉杖なので何もできない。病院とは思えない汚さ。いくらクラスター発生とはいえこんな扱いだと刑務所のほうがマシに感じる。

同部屋のおばあさんはここはもうこりごりだと言っていた。他の病院と比較すると看護師のレベルが低いようで、今回は別の病院に入院する予定だったがまたここに来る羽目になってしまったようだ。

 

洗い流さないシャンプーと蒸しタオルで頭皮を拭いたら少しスッキリした。

食事は全て完食。

 

■術後7日目

住めば都とは確かにその通りで、明日ここを去ると思うと一抹の寂しさを感じ、おばあさん一人を置いていくことに心が痛くなった。

今日も午前と午後1回のリハビリ。退院が早まったので日常生活で困らないように松葉杖での歩行や階段の上り下りがメイン。

部屋の汚さや看護師の態度などムカムカすることは多々あったがそれも明日までの辛抱。


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食事は全て完食。なんとなくお腹が凹んできた気がする。いつまで維持できるかな。

 

 

■術後8日目

ようやく入院生活も終了。


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朝食後に家族が迎えに来てくれた。

点滴をかけるところにティッシュをぶら下げると便利。(豆知識)

入院費の支払いは退院時ではなく次の診察のときになる。

 

 

帰宅後、初めてサポーターを外し、松葉杖もなしで恐る恐るお風呂に入った。

まだ足の腫れが酷く曲げられないので風呂椅子に座ることができず、浴槽のふちに座って何度も頭を洗った。

自宅は1戸建なので2階の寝室に上がることが一番困難だった。次回は1階に簡易ベッドを用意しようと思う。

 

 

■退院後

退院時は両腕に松葉杖、翌週に最初の外来診察・抜糸。その時に術後からずっと付けていた足をまっすぐ維持するためのサポーターが外れ、片松葉杖+装具(下記のX2K)を装着して過ごすことになる。

術後1ヶ月後(12月下旬)には片松葉杖+装具をつけたまま温泉旅行にも行けた。

 

参考↓

arfit.jp

 

2ヶ月後くらいまで(1月中旬くらい)は週1の通院とリハビリ。

その後は徐々に通院とリハビリの頻度が減る。2月上旬には装具を外す許可が下りた。

 

 

■退院後の海外旅行と国内旅行

退院後にどのくらいアクティブに動いたか記しておく。個人差あり。主治医との相談も忘れずに。

・退院3日後に車を運転して出勤
※私の車はスポーツカーなので車高が低く運転しやすかったが、装具は膝を少し伸ばした状態で固定されるのでミニバンなどの大きな車は辛いかも。夫のハイエースは乗り降りもシートに長い間座るのも辛かった

・術後1ヶ月で国内温泉旅行(車移動で往復2時間)が可能

・術後2ヶ月半でレッチリの東京ドーム公演(車移動で往復2時間)が可能
※東京ドームはバリアフリー設備はほぼないので正直オススメはできない

・術後5ヶ月半でモンゴル旅行→落馬して➡前十字靭帯断裂

・術後8ヶ月でベトナム旅行(右靭帯は切れたまま)

参考までに、同部屋のアスリートは術後1ヶ月弱で帰国したそうだ。

 

 

■現在と再断裂について

術前に主治医より再発率についての説明があった。

術後1年間での再発率は両膝で10%を超えるとのこと。怪我をしていないほうの足を駆使したり、変に庇って歩いてしまうので再発率も高いようだ。

まさに私はその10%に該当してしまったのだった。

 

現在は手術から11ヶ月経過したが、まだ傷跡はバッチリ残っている。気にならなくなるまではかなり時間がかかりそう。

海外旅行を趣味にするためには心も体も健康が一番。次の旅行、そして再手術に備え体を鍛えたいと思う。